古いもの2のブログで少し触れましたが、小学校時代の恩師に、いまだに時々思い出す先生がいます。学生時代いろいろな先生に出会いましたが、悪坊主の僕が、素直に教えをきいた唯一の先生です。小学校時代、僕は自由人で(落ち着きがなくて)授業中でも紙飛行機を飛ばして遊ぶような子で、よく座席は強制的に最前列の真ん中でした。また、授業中よく廊下に立たされたり、床に正座さされたりしていました。ゲンコツもやってる先生が僕の頭を心配するほど叩かれましたが、ケロッととしていました。4年生か5年生のとき音楽の担当として岡田和子先生が赴任してきました。僕は、たぶん誰かに誘われて、トランペット鼓隊に入ったのですが、指導する岡田先生は強烈なパワーがあり、僕は無意識に犬になったように先生を注視し、叱られたら悲しいし、褒められたり、先生の笑顔を見たら嬉しくなっていました。岡田先生が「疲れても絶対トランペットの先を下げたらいかん」と言ったので、どんなにしんどいときでも一度もトランペットの先を下げませんでした。その時についた筋肉が今も残っているような気がします。年に一度、市の音楽コンクールがあったのですが、なんとトランペットのパートに僕は選ばれました。特にうまい訳でも練習熱心でもない僕が選ばれた理由は不明ですが、いつもトランペットを上に向けているのをみてくれていたからかもしれません。
先生の周りにはいつも生徒の輪があり、遠目で先生を見つつも、あまり接することができないまま卒業しました。卒業後、幸運にも先生に会うことができました。中2の年末、しめ飾りを売るアルバイトで、大八車をひいて八幡浜じゅうの家を回っていたとき、訪ねた家から、たまたま岡田先生が出てきました。すでに十分なしめ飾りが玄関に置いてあるにも関わらず先生は満面の笑みで、たくさんしめ縄を買ってくれました。「また、おいで」とおやつまでもらい本当にうれしくなりました。しかし、この時が先生との最後の別れとなりました。高校生のとき、岡田先生はお亡くなりになりました。最近、先生は癌だったことを知りました。先生の体調が良くないと知っていたら、毎日でもお見舞いにいったのに・・・。再度、先生のお宅を訪ねなかった後悔の念ががいまでも残ります。岡田和子先生、本当にありがとうございました。